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写真

  • 2007/11/28(水) 05:06:28

圧倒的な風景を目前とすると、その振動する大気が僕の心臓を掴みこんで、どくどくと打ち鳴らしてくる。そういうとき、なんとかその情動を残せはしないかと、写真を取ることがあるのだけど、大抵はその後に、しまったなぁと思う。写真には僕の心を掴んだ何かは移らないのだ。だからそういう目的で写真を取るのは好きではない。


人が移る記念写真とかは好きだ。思い出はいつだって自分側にある。


今日の小石のブログに乗っていたような写真も、好きで、其の人の環境への触れ方が良くにじんでくると思う。


写真はやはり創造の一環としてあるのが魅力的だと感じる。

                

コート

  • 2007/11/08(木) 21:46:49


本当の人間がいて 現実を着ている

服ではなく 現実をきている

そこに私の理想の服があるのです



例えば 19世紀始めにあまり豊かでない国に生きていたら

冬は本当の冬ですから 本当にさむい

厚手の服が必要になります

これが本当の人生であり服です



コートが美しいのは

すごい寒さのなかで 生きる為のコートだからです

コートが友達か家族の様で

私はこのコートに強い嫉妬を感じるのです

人々が私の服をこんな風に着てくれたら

どんなに嬉しいでしょう



Yohjiの言葉だが、大分、服というものへの思いが変わる。

                

粗食

  • 2007/10/30(火) 00:03:22

夕日は傾き、遠ざかる。

一日は過ぎた。

日は向こうの国へ行って、新しい生を促すのだ。

俺が地上から飛び立って、

どこまでもあれを追いかけていくための翼がないことが残念だ。


人はパンを食べずには生きてはいけないが、

なんとパンを食べる喜びを知っているではないか。


物理的制約というのはまさに無用の用として核心へと居座っている。


不足も過多もない、必要十分な程度の食生活をおくっていると、

食を通して随分と精神身体ともに研ぎすまされる。

精神と身体の狭間で、何か静かに煌めく結晶が感じられるのだ。

そうなると、逆に今はまだ丸みを帯びている自分にはっと気がつく。(太ったという意味ではない)


粗食=節約のため

というイメージがあったのだけど、今、粗食に対しては至福たる鍛錬という札を与えたい。

                

朝の空気を吸って

  • 2007/10/21(日) 07:40:14

今日の朝飯は、炒り卵に砂ずりの醤油炒め、梅干しに味噌汁。

朝御飯には昼晩の食事より気を使ってあげると良い。

最高の朝飯を食べることで、最高の朝線を引くことになる。

※砂ずり=砂肝

朝線を引く=リンク先を参考


窓を開けると瑞々しい風がこの部屋を通り抜ける。

今日もまた良い一日になりそうだ。


しかし最近は食事のことばかり書いている。

僕はそんなに食いしん坊なわけではない。

                

求めること

  • 2007/09/28(金) 04:34:19

自由を求める運動は不自由の中で発生し、

幸せを求める意志は不幸せの方向を向いている。


結局、求めている物は求めていない物であり、求めていないものが求めていた物であったりする。


だとしたら、求めている物とはなんだろうか。

求め続けている過程(あるいは遍歴)を求めているのかもしれないが、その渦中に於いては求めている物がその場に無いからこそ、それは過程と呼ばれる。

う~む

                


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