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効率性から逃れて

  • 2009/07/06(月) 04:16:42

最近は技術(注)という物が粗雑に消費されている気がする。

盲目的に開発競争が行われた結果とした生まれた技術は、消費者の手に渡ったと思うや否や、直ぐさま次の技術に取って換えられていく。次から次へと生産される技術は、それぞれがしっかり賞味される暇もなく、使い捨てられて行く。

もっと大きく腰を据え、人々の生活という、大きく緩やかな流れによって、ゆっくりと研磨するように育て上げてこそ、本当に豊かな技術というものが創造されるのではないだろうか。


例えば、長年に渡って同じ自転車を愛用していると、ゆっくりとハンドルが自分の手になじんでいき、遂には自分にとってこれ以上ないというほどに調整されたハンドルとなる。

これと同じ様に、技術というものも、多くの人によって愛を持って用いられ、ふんだんの時間を供にしながら成熟していくからこそ、本当に良いものが育つのだとおもう。

製作者同士の競争に急かされる様に、人との繋がりを希薄にして、それだけが浮き上がる様にして出来上がった技術には美しさを感じない。

技術もデザインも、人と自然と生活の中に塗れてこそ、本来の輝きを放つ。


だけどなかなかこれは難しい問題である。

民芸、工芸のように生活という土壌の上で悠久の時間をかけて技術を育てていた昔とは違って、資本主義というレールの上で"効率的に"技術促進するのが今の主流になっている。それはそれで良かったのだけど、こうした加速によって生まれた急流に、もはや人々は足を掬われ、ひっくり返っているのではないだろか。

目的の無い競争にむち打たれて数多くの技術を開発するより、人生にたった1つでいいから、自分が本当に愛し、慈しみ、心を捧ぐことのできる技術を開発してほしいと思う。

様々の面で、効率化は既に多大に成されたのだ。

その効率化によって得た余裕を、そろそろこのような真の創造に費やしてもよいではないだろうか。

我々は"効率化"という呪縛から逃れなければいけない。



(注)ここで技術という言葉を使ったが、これは比喩であり、デザインなど他の言葉を入れても同様である




                

図書館の一歩外に出て

  • 2008/12/12(金) 18:03:31

図書館の中の暖房では少し肌寒く感じるので、今日は野外で勉強することにした。
当然、外は図書館より寒いのだけど、そういう環境に敢えて身を置くことで、身体が「ここは寒いぞ、気をつけろ!」と警報を出し、血流を高め、結果的には暖かく感じるものだ。

それに、外は図書館と違って喋っても良いというのが心地よい。
図書館の中では喋ってはいけないというルールがあり、そのルールによって皆が行動の半径を規定されている。その規定が完璧に行き届いて、ピタリとみんなの半径が一致すれば、それはそれで美しいのだけど、そうも行かないのが現状だ。
それに比べて図書館の一歩外に出ればそんな規則はなく、各々が周りとの関係を読み取って、自ら行為の幅を決める。そうして自ずと生まれた規律性の網の中で勉強するというのが、実に清々しい気分にさせてくれる。

子供のはしゃぐ声や、母親が語りかける慈愛に満ちた言葉、恋人達の幸せに満ちた語りや、風と木々のざわめき、それらが織り成す音楽が、最高のBGMになる。

                

星との会話

  • 2008/07/18(金) 17:57:58

なぜ数学や物理を勉強しているの?

と聞かれたときに、僕が返せる答えは、自然と会話をするためだよ、くらいの言葉しか持ち合わせていない。

愛すべき友人達と話すのに便利な言葉は自然言語だが、自然と話すのには残念ながら自然言語では事足りないのだ。

力学の発展の歴史が、天体の運動の解明に沿って進んでいるのが、とてもロマンチックなことに思える。

今からしては遠い昔、夜空の下の家屋を満足に照らす明かりも、その灯の下で読むべき物語も持っていなかった人々は、だけども今よりもずっと綺麗に空に映る星々の輝きに恵まれていた。

毎晩夜空を見上げては、時には煌めく星の一連に名前をつけて親しみ、時には星々の見せる気まぐれな態度(例えば外惑星の逆行現象など)に心を悩ませたのだろう。

愛すべき星々のことをより良く理解し、より楽しく星々と会話をするために、コペルニクスやケプラーを代表とする当時の人々は、星空と話す為の言語を追い求め、そうして発展した言語が、力学なのだ。

遠くはなれ、一度も肌を合わせたことの無い恋人の為に、何百年、あるいは何千年の時間をかけて培われた言語としての力学を眺めていると、人々と自然との間の壮大な恋愛物語をまぶたの裏に浮かべてしまう。

                

カオスによるデザイン

  • 2007/10/03(水) 10:40:05

今日は、ニューラルシステムにおけるカオスの第5章カオスニューロンモデルとそのネットワークダイナミクス、を参考にして、カオスニューロンを2次元配置4近傍結合した系の時空間パターンダイナミクスを観察した。写真はパターンが生成されていく様子である。


f:id:emsh:20071003221655p:image:left

※僕は一番右下の様相が気に入っている

※時系列としては以下のようになっている

123

456

789



                

言葉を使わない1日

  • 2007/06/03(日) 05:39:42

言葉の役割に、パッと思いつく所で3つほど挙げられる。

伝達をするための言葉

思考を深めるための言葉

世界に触れるための言葉


世界に触れるための言葉は、以前どこかのブログに書いたが見つからない。

世界の諸処に命名をしていくことで、よりよく世界を知るための言葉だ。

四季の豊かな日本であれば、四季に関わる語彙というのは他国よりも多い。


思考を深めるための言葉というのは、数学を考えてみると分かりやすい。

数学はまさに思考のための言語だ。同時に伝達能力も素晴らしい。


伝達、つまりコミュニケーションをするための言語、

これは社会的生物である人間にとってはとりわけ大切だ。


新しい友達と歩いているときに、

何も話していない時間をひどく不安に思う。

話をしていないということが、

コミュニケーションを取れていないという心象に結びつくからだ。


だけど、コミュニケーションに必ず言葉は付随するものかというと、

それはそうでもない。


気の知れた友達が飯を食べた後、ぼんやりした目をしてるのを見て、

こいつはもう眠いんだなと伝わってくるし、


花火を見ている恋人達は、ぎゅっと手を繋ぐだけで、

「きれいだね」と相方に伝えることができる、


そこに生じる身体、

(皮膚を表面とする身体ではなく、雰囲気などと広がりをもった身体だ)

で会話をすることが出来る。


それならば、依然として意味のある言葉とは何だろうか?

それは非常に難しい問題にも思える。


それを知るために、

まったく言葉を使わないで誰かと1日を過ごしてみたいと思った。


身体表現だけでことは足りるだろうか?

環境に落ちているものを記号、あるいは言葉として使うだろうか?

言葉を介さずに知り合った人達はどういう関係になるだろうか?

その1日を通して、また言葉という事と深く知り合えるだろうか?


興味は尽きない。

                


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