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歴史に見る祖先崇拝

  • 2007/01/10(水) 09:54:49

部活をしいて歴史を学ぶと、部活というのは世間の場を圧縮したような場であるだけではなく、歴史までも含めて圧縮しているのだなと感じる。



日本の「神(カミ)」という言葉の語源には様々な節があるが、その1つを見てみると「すべて尊いもの、上位にくらいするものをカミとする」というものがある。

氏神や祖神という言葉からも分かる様に、日本では祖先、または死者が神であるという概念があるが、これは非常に興味深いことだ。

このことはもちろん日本の縦社会の観念にも深く結びついている。

例えばキリスト教を考えると、そこでは死後に自身が対面するのは全能の神とである。そうすると「生前の決算は自分一人で全能の神と一対一でやるのだ」という信仰になり、現世では個人主義が栄えるというのも至極当然のように思える。

一方、先祖を神とする日本に於いては、死後は先祖の下へと足を運ぶということになる。すると現世では先祖に恥じない振る舞いをしようという信仰になる。そうであれば、日本の垂直的概念というのもやはり至極当然なのである。


戦前の日本では、母親というのは「近所の奥様の目」を気にして行動するのではなく、「ご先祖様の目」ことを意識して行動していたという。

一方今ではそれが逆になってしまったと言われる。

自分は必ずしてそうだとは思わないが、確かに子供の教育ということを考えても、この子をしっかりとした大人に育て上げる事がご先祖様に対して顔向け出来うる道だというよりは、近所の奥さんに対する見栄の様なもので、子供を有名大学にいれるなどの気が増えている様にも感じる。


現在、祖先崇拝の念が薄れて来ているかどうかは齢21歳の自分にはそれほどはっきりしないが、少なくとも運動会に於いてはその心はしっかりと根ざしている。

運動会では「御先祖様」ならぬ、「OB、OGの諸先輩方」に憧れ、御先輩方に恥じぬ行動を常に意識する事になるが、そう考えると運動会というものは良き日本の歴史というものが圧縮されているのだなと感じる。


全能の神の前に芽生える個人主義

祖先崇拝の前に芽生える垂直主義

それぞれ長短(という言い方も変なのだが)あると思うが、祖先崇拝に見える奥ゆかしさという物を大事にしていこうと思う。

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