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科学文化の舞台建設

  • 2010/11/04(木) 00:43:29

科学者は、しばしば「その研究は何の役にたつのですか」という質問を受けるが、それに対して「その研究はどう面白いのですか」という質問を受けることはほとんど無い。

一方で、芸術家は「その絵のどこが面白いの」と問われることはあっても、「その絵は何の役に立つの」と問われることは、それこそ皆無に等しいと言ってよいだろう。

つまり社会的には、科学は技術として、芸術は文化としてその地位を確立しているのだ。

その反面で、科学者の中でも少なからぬ人々は、技術的な営みではなく、文化的な営みとして、科学の道を歩んでいる(※1)。個人にとっての科学は、このように文化としての側面が大きいのだと思うけれど、社会の中では、科学は何かの役に立つべき技術として認知されている。科学はなまじ役に立つので、なかなか技術の道を抜け出せずにいるんだろう。個人にとっては科学は文化、社会にとっては科学は技術という、このねじれが解消していくことが、文化としての科学の土壌を肥やしていく第一歩なのは間違いないし、このことは更に、真に豊かな科学技術の創成へも繋がるものだとおもう。なぜなら、豊かな科学技術とは、豊かな科学文化の実りを調理することで得られることがしばしばだからだ。

桃の木は、誰かの役に立とうとしてその実をつけるのではない。だけれども、人々はその桃を食べることができ、役立てることができる。同じように、文化人としての科学者が育てた科学の実を、技術者としての科学者が調理し、役立ててくれる。桃の実でも、科学の実でも、問題は"役立つ"かどうかではなく、"役立てる"かどうかなのである。役立てるためには、先ずは兎も角、実が成らなければどうしようもない。そのためには、土壌を肥やしておく必要があるのだ。

桃の木と科学文化の人々を同列に捉えたが、ここには一つ重大な差がある。それは、桃の木は自分で土壌を肥やすことはできないが、科学文化の人々は自分たちで土壌を作っていくことができるし、そうすべきだということだ。

このことを話すのに、先に絵画の歴史というものを振り返りたい。始めに、芸術は文化として認められていると書いたが、では例えば、画家の活動が当初から文化的活動として認められていたかというとそうではないのである。
元々の画家の活動とは、技術的な活動であった。
このことは岡本太郎の今日の芸術に詳しいのでそちらを参照して頂ければと思うが、以下に簡単に記す。

意外かもしれないが、絵画が芸術になったのは、今から100年ぐらい前のことで、まだその程度から立っていないのだという。では芸術以前の絵描きは何をしていたのかというと、貴族の注文に応じて、王様の顔を端正に描きあげたりするのが仕事であった。これは言わば、綺麗なお見合い写真を撮る写真家としての仕事のようなもので、そこに求められるのは文化の精神ではなく、どれだけ綺麗に描いてくれるかという技術である。このころには、画家は貴族のお抱えとなって仕事をしていた。

ところが、フランス革命の結果、貴族階級は社会的な地位を失い、お得意様の居なくなった画家は、明日のパンの心配をしなくてはならぬ状況に追いやられることになった。そこに、資本主義の中で富を得て権力を握り始めたブルジョアジーが、画家にとっての新たなる顧客となっていった訳である。しかし、貴族相手に絵を描くのと、ブルジョアジー相手に絵を描くのとでは、絵の描きようが全くと言っていいほど異なるのである。貴族との直接の関わりの下では、その貴族にあわせて、貴族の気に入るような絵を描いていれば良かった訳だ。一方でブルジョアジーに絵を描く時には、誰か特定の個人のために絵を描くのではない。どこかで開かれた展覧会に絵を飾り、そこで不特定多数の人々に鑑賞される。どのような場所に飾られ、どのような人に見られるか分からない中で、それでも絵を描かなければいけないという状況に追いやられたのである。これで、画家はすごく苦しんだ。少し岡本太郎の文章を引用しよう。

まず、だれのため描くのか、したがって何を描いたらいいのかー、絵描きは苦しみます。描かなければならない真の絵とはなんだろう。いったい絵画とはなんぞや、という問題になった。そういうことを自分の責任において、とことんまでつっこみ、社会、人類に対して、これだという一つの答えを出さなければ絵が描けない。 -略- この苦しみ、この虚無をのりこえて、はじめて、絵画は芸術になったのです。



桃の木の話から転じて少し長くなってしまったが、つまりは、絵画というものも始めは文化としての土壌を持っておらず、ではその土壌を肥やしていったのは誰かというと、他ならぬ画家自身なのである。だとすれば、文化を志す科学者もこれを見習い、自らの手で、この社会に科学という文化を培っていかなければいけない。

文化としての科学をやりたい人々が、いつまでも「これは一応こういう風に役に立つんです」と言って、技術としての科学の土台の上で活動を続けていくことはできない。日本には、そういったねじれた科学を支えるだけの余裕というのはものないのだ。文化人としての科学者は、まずは自分たちが活動すべき舞台の建設から始めなければいけない。

科学は私的な営みであって、そのようなことは我々科学者の役目ではないと考える方もいられるかもしれない。しかしそうではないと思う。「人に見せたくなるのが芸術」と言ったのが誰かは忘れてしまったが、それに呼応して僕はこう言ってみよう、「人に教えたくなるのが科学」なのだと

芸術を「紅葉の葉っぱ、綺麗に描けたよ、見てみて」というコミュニケーションだとすると、科学も「羽根と鉄球同時に落ちるよ、すごくない?」というコミュニケーションなのだ。このコミュニケーション無くしてはなかなか科学も芸術も楽しめはしない。一歩一歩、文化としての科学を踊れる舞台を建設していかないといけない。


(※1)例えば、物理学では独楽の運動に関する研究なども成されていた。これは当然、今よりも高性能の独楽を作ろうとか独楽を回して電力発電しようとかいった技術的な志を元にした研究ではない。そうではなく、子供の頃によく遊び、慣れ親しんだ独楽だけど、こうやって斜めになっても倒れずに回り続けるのはどういうことなんだろう、そういった好奇心に突き動かされ、それが解明した時には心が踊り、そうしてその感動を誰かにも伝えようと論文に記していく、そういった文化的な営みなのだ。

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