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音を視る

  • 2007/06/23(土) 09:27:59

音というのは、実は聴くだけではなく、同時に視ているんじゃないか?

甲野先生の技を視ていて、ふとそのように感じた。

甲野先生の技には、音が無いのだ。

その音の無さに妙な存在感があった。

                

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球心

  • 2007/06/23(土) 09:27:58

生活、生活、生活。

ふと生活の中で、能動的になってみる。

世界をどん欲に味わおうとしてみる。

そうして初めて語りかけてくれる世界がある。


昨日は、三鷹天命反転住宅にお邪魔させて頂いた。

その中の、球体の部屋に、甲野先生と森田とで積極的に語りかけた。

3人で小さな球体の部屋を、声を出したり壁を叩いたりしながらむいむいうごめいていると、ふと甲野先生の声が直接脳に響いた。

この部屋では、ある人がしゃべった声が集中する焦点があり、そこに頭をもっていくと、脳に直接声が響くのだ。

これは実際凄い体験だ、信じられないかもしれないが、その声を出しているのが自分であり、その内容は自分が考えているように思えるのだ。

しゃべり手の心が自分に乗り移ったように思えるのだ。


自分から世界に語りかけることで得られた感動と言ったらすごい。

今回の経験を纏めて 球心 と呼ぶ事にしよう。


球心【名詞】

積極的に世界に語りかけを行うことで得られる感動。

例)昨日は太郎君と共に球心を経て、これまで以上に友情が深まった。

                

言葉を使わない1日

  • 2007/06/03(日) 05:39:42

言葉の役割に、パッと思いつく所で3つほど挙げられる。

伝達をするための言葉

思考を深めるための言葉

世界に触れるための言葉


世界に触れるための言葉は、以前どこかのブログに書いたが見つからない。

世界の諸処に命名をしていくことで、よりよく世界を知るための言葉だ。

四季の豊かな日本であれば、四季に関わる語彙というのは他国よりも多い。


思考を深めるための言葉というのは、数学を考えてみると分かりやすい。

数学はまさに思考のための言語だ。同時に伝達能力も素晴らしい。


伝達、つまりコミュニケーションをするための言語、

これは社会的生物である人間にとってはとりわけ大切だ。


新しい友達と歩いているときに、

何も話していない時間をひどく不安に思う。

話をしていないということが、

コミュニケーションを取れていないという心象に結びつくからだ。


だけど、コミュニケーションに必ず言葉は付随するものかというと、

それはそうでもない。


気の知れた友達が飯を食べた後、ぼんやりした目をしてるのを見て、

こいつはもう眠いんだなと伝わってくるし、


花火を見ている恋人達は、ぎゅっと手を繋ぐだけで、

「きれいだね」と相方に伝えることができる、


そこに生じる身体、

(皮膚を表面とする身体ではなく、雰囲気などと広がりをもった身体だ)

で会話をすることが出来る。


それならば、依然として意味のある言葉とは何だろうか?

それは非常に難しい問題にも思える。


それを知るために、

まったく言葉を使わないで誰かと1日を過ごしてみたいと思った。


身体表現だけでことは足りるだろうか?

環境に落ちているものを記号、あるいは言葉として使うだろうか?

言葉を介さずに知り合った人達はどういう関係になるだろうか?

その1日を通して、また言葉という事と深く知り合えるだろうか?


興味は尽きない。

                

色と世界と私

  • 2007/06/02(土) 07:32:31

今まで色について重大な思い違いをしていた。

世界の見方について思い違いをしていたと言ってもいい。


人が物を見るプロセスを簡単に書くと

入力→知覚→認知

となるのかな、細かいことはあまり関係ない。


入力は外界から目などの受容器を通して情報を伝達すること。

知覚はその情報から"今見ている世界"を形作ること。

認知はその見ている世界を解釈すること。


下品な例で失敬だが、

道に落ちている物体から光が飛んできてそれを情報として受け取るのが入力

入力からそれが茶色くてとぐろを巻いた物体だと見えるのが知覚

それをうんこと思うかチョコレートソフトクリームと思うかが認知だとしよう。


そこで、以前のブログにも書いたけどこの絵だ

f:id:emsh:20070126174536j:image


以前、僕はこう書いていた。

この画像のAのタイルとBのタイルはまったく同じ色をしている。

つまり、2つのタイルから入力が入って来て、同じ色として知覚し、それを認知し間違えて違う色に見える、と以前は思っていた。

人間と蜂なら受容器が違うから同じ入力から違う知覚が生まれるのは当たり前だけど、Aのタイルを見ているのもBのタイルを見ているのも僕なんだから、この2つは同じ色として知覚してるんだ、と思っていた。

だけど、違った。

確かに画像のAのタイルとBのタイルは確かに同じ波長の光を出している。

だけど、知覚した時点で既に違う色として見えてるんだ

今、僕の見ている世界では事実、ふたつのタイルは違う色として現れて来てる。

つまりは色ってのはそういうもので、僕と世界との微妙な関わりあいから常に生成し続けているものなんだ。

それはすごく相対的で、波長という絶対的な数値で表す事ができるものじゃない。


f:id:emsh:20070126211836p:image  f:id:emsh:20070126211925p:image

こんな風に周りの環境から抽出した時点で、僕の見ている色は変わってしまう。

全部同じ波長だけど、全部違う色だ。


上に書いた事は、科学的に証明されているかどうかは分からない。

だけど、僕にとってそれは、今までになく、しっくりくる。

より良く世界にフィットできる感じだ。


ああ、なんかすっきりした。

今見てる世界をあるがままに受け止められる、めちゃくちゃいい気分だ。


これでまた、僕と世界との間をより良くおたまじゃえるようになったな。

                


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