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火をめぐる諸概念の形成

  • 2011/12/05(月) 17:30:57


新しい動力としての火

火は万物を変える(Ignis mutat res)と言ったのが誰だかは忘れてしまったが, 私たちは化石燃料を燃やし, そうして得られた火の力を用いて, この現代文明を駆動してきたということは間違いない. 火が発する熱は物体の体積を増大させ, その体積変化を利用して仕事をなしうる. こうした火の力を利用する機械, 即ち熱機関が現代産業を支える土台となっている.

今でこそ当たり前のように火を動力として使っているが, Adam Smithが国富論を執筆した時代(1776年)には, 火にそのような有用性が秘められていることは, まだ一般的には知られていなかった. 当時の機械を動かす動力源は風力や水力, あるいは動物の力であり, 石炭と言えばそれを燃やして暖をとるというのが一般的な用途であった. 熱を発して物体を膨張させ, それによって仕事を引き起こすという火の潜在力はベールに包まれている状況だったのだ.

やがて「熱」と「仕事」との関係が突き止められ, 火の力が産業へと有効活用されるようになるが, そこには「熱」という形なきものへと正面から向かい合った, 多くの物理学者たちの努力が隠れている.

以下では, こうした物理学者たちの背中を眺めてみることにしよう. 見えないものに目を凝らし, 声無きものものの声に耳を澄ます物理学者の姿勢から, 私たちが学べるものは多いはずだ.


熱と温度概念の深化をめぐって

測ること、概念をつくること
「我、発見せり!」ギリシャの風呂場から響いてきたその声の持ち主は、アルキメデスその人であった。アルキメデスは水を張った桶の中に王冠を沈め、そこから溢れる水の量によって、王冠の体積を測りとることに成功した。思えば体積というのは馴染みのある概念のようであって、いざ王冠のように複雑な形をした物体の体積とは何かと問われれば、それに答えることは難しい。私たちが素朴に持っている体積概念は、実は立方体や三角錐のような単純な図形の上で定義された概念であって、それを日常に溢れる複雑な形状にそのまま適応することは叶わないのだ。アルキメデスは、実際に王冠の体積の測り方を考案することで、体積という概念を拡張したということができよう。測ることと概念をつくることは密接な関係にある。

温度計の発明
その意味で、熱とは何か、温度とは何かという問題に立ち向かうにあたって、温度計が果たした役割は大きい。記録に残っている限りでは、人類初めての温度計を作成したのはガリレオ・ガリレイとされている。熱さ冷たさという感覚によって素朴に捉えられていた温度が、温度計によって、空気の体積変化という測定可能な幾何学量へと結びつけられたのだ。物質から色や匂いや味のような感覚的な性質をそぎ落とし、大きさと形状と運動能力のみを有する幾何学的なオブジェクトとして捉え、機械論的な自然観をつくりあげたガリレオらしい仕事だと言える。

熱感覚と温度との分離
この温度計によって「熱平衡」という現象を発見したのはBoerhaaveである。高温物質と低温物質を長時間接触させておくと、やがて両者は同じ温度へと落ち着き熱平衡となる。これは当たり前のように聞こえるが、この事実を見抜くには温度計という利器が必要不可欠であった。例えば寒い冬、私たちは羽毛を触ればそこに温かみを感じ、金属を触ればその冷たさにゾッとするであろう。しかし同じ温度の空気に晒されている以上、その羽毛と金属とは同じ温度なのである。温度計によってこそ、Boerhaaveは肌で感じる素朴な「熱感覚」と「温度」との間に明確な区別を設け、「熱平衡」という概念を生み出すことが出来たのだ。「温度」という概念が一つ深まった。

しかしこの時点では「温度」と「熱」との関係はいまだ混迷していた。当時は熱素説の時代であったが、Boerhaaveは、二つの物体が熱平衡にある、つまり等しい温度であるとは、二つの物体に潜む熱素の密度が等しいことだと考えた。つまり「物体の温度」とは「物体に潜んでいる熱量の密度」のことだと考えていたのだ。もしこれが正しければ、ある物体1gの温度を1℃上げるのに必要な熱量は、その物体の材質がなんであるかに関わらず一定となる。しかし私たちは、例えば鉄は温まりやすく水は温まりにくいということを、経験上よく知っている。つまりBoerhaaveの時代に足りなかったのは、「熱容量」という概念である。

熱容量の誕生、熱量の転生
この「熱容量」という概念は、1760年頃にJoseph Black(1728~1799)によって生み出され、その誕生は壮絶なものであった。ただ単純に「熱量」と「温度」という概念の上に、新たに「熱容量」という概念が打ち立てられたのではない。実際には「熱容量」を定義するにあたって「熱量」という概念は不必要である。それどころかBlackは、「熱容量」という概念を生み出すにあたって、一度「熱量」という概念を捨て去っている。その上で「熱容量」と「温度」という概念の上に、改めて「熱量」という概念を打ち立てたのだ。

Blackが「熱容量」という概念を育てるにあたって注目したのも、Boerhaaveと同じく熱平衡という現象である。しかしBlackはBoerhaaveとは異なる眼でこの熱平衡を見ていた。Boerhaaveの「熱量によって物体の温度が定まる」という説は、物質によって温まる速度が異なるという経験事実を説明することができなかった。では一体、熱量と温度との関係はどうなっているのだろうか?ここでBlackは大胆にも「熱量」という概念を一度捨てさってしまう。従来の熱平衡の考え方は、熱素の分布うんぬんの結果として温度が等しくなるという、熱素ありきの考え方であった。しかし考えてみれば、人間にとってまず観測されるのは、温度計によって計り取られる「温度」であって、決して「熱素」なるものは観測されない。それにも関わらず「熱素」ありきで「温度」を語るというのは、思えば論理的倒錯というものである。そこでBlackは、2つの物体が熱平衡にあるというのは、2つの物体が等しい温度にあること、それ以上でもそれ以下でもないと主張する。温度計によって計りうる「温度」こそを議論の土台へと据えたのだ。ここで一度、熱量概念は死んだのである。

では「熱量」という概念無しに、如何にして「熱容量」という概念を打ち立てたのか。実はBlackが定義したものは、正確には「熱容量」ではなく、水を基準とした「熱容量比」であった。つまりある物体を温めるために、同量の水を温める場合に比べて何倍の加熱が必要であるか、その比を熱容量として定義したのである。そうして、熱容量$C$の物体の温度が$dT$上昇したときに物体が受け取った熱量を$C$×$dT$とすることで、「温度」と「熱容量」から二次的に定まる量として「熱量」を定義したのだ。熱量概念の転生である。

概念の総体というのは積み木の城とは違う。それは、ただ既存概念の上に新概念を積み上げていくだけで得られるとは限らない。ここで見たように、時には新概念を以てして、土台となっていた既存概念と挿げ替えていくような、非常にダイナミックな組み換えが必要なこともあるのだ。

技術と科学との接触
"熱による運動の産出の原理を完全に一般的に考察するには、いかなるメカニズムともいかなる特定の作業物質とも無関係に心の中にそれを考えてみなければならない。蒸気機関だけでなく、作業物質や作動方式のいかんを問わず考えうるあらゆる火力機関に適用できる理論をつくりあげねばならぬ。 Carnot"

蒸気機関の登場
時代は少し遡るが、実用に耐えうる蒸気機関が初めて世に出たのは1712年のことだった。当時、炭鉱を掘り進むにつれて溢れ出してくる地下水を外へと排水するために、イギリスのThomas Newcomen(1664~1729)が開発したものだった。Newcomenの蒸気機関は、それを動かすために掘り出した石炭の3分の1程度を消費するほどに効率の悪いものであったが、その効率の悪さにも関わらず、Newcomenの蒸気機関は50年以上に渡って使用し続けられていた。効率が悪いといえども、熱機関が生み出す力は、人や動物が生み出す力に比べれば遥かに有用だったのである。

1760年代になって、この蒸気機関の改良に乗り出したのがJames Watt (1736~1819)で、驚くべきことに蒸気機関の効率は4倍以上にも跳ね上がった。とはいえ、今になってみれば、Wattの蒸気機関の熱効率は3%程度、Newcommenの蒸気機関に関しては1%にも達していなかった。50年間でわずか2%しか効率が上がっていないと思えば、これは遅々としたものである。

蒸気機関の改良には多くの技術者が関わっていたが、それにも関わらず進歩のスピードが遅かった最大の理由は、やはり「熱」と「仕事」との関係が明らかでなかったからだろう。先ほど簡単に効率が~%と言ったが、当時はそもそも、「熱」から最大どれだけの「仕事」が取り出せるのかも分かっていなかったし、その効率を決めるのが何なのかも、もちろん知られていなかった。既存の蒸気機関に比べてどうかという相対的な効率を考えることはできても、熱の力をどれほど有効に使えているのかという絶対的な効率に関しては人々は盲目であった。Newcommenの4倍もの効率を誇るWattの蒸気機関が、熱の力をたった3%しか有効利用できていないとは、当時の人々には思いも寄らなかったのではないだろうか。

普遍的な法則を求めて
従って、蒸気機関の効率を最大にするための科学的原理をつきとめることが、当時もっとも緊急の工学的な課題であった。それまで技術者の試行錯誤に任されていたこの問題を、科学の問題として定式化しなおしたのはCarnot (1796~1832) であった。Carnotの偉大さは、目下にたたずむ個々の問題からは一度目を離し、それら全ての問題を包括的に眺めるための視座を作り上げていった点にある。Carnotによって熱機関の問題を捉える視点は天高くへと飛翔したのである。これは産業革命を推し進めるのみならず、人類が熱力学という普遍的な科学体系を手にするための、最初にして最大の一歩であった。

例えばWattは、Newcommenの蒸気機関の「メカニズム=作動方式」を改良することで、その効率を向上した。また蒸気機関というのは水蒸気によって「火の力」を「仕事」へと変換する機関に他ならない。当時の人々は、水蒸気よりも好ましい「作業物質」の存在を追い求めていた。

より効率的な「作動方式」あるいは「作業物質」を求めて個別的な試行錯誤が様々に為されていたが、それらの効率を統括的に判断するための基準がなかった。そこでCarnotが目指したのは、特殊な熱機関についてではなく、一般の熱機関について成り立つ普遍的な法則を打ち立てることであった。

熱素説時代のカルノーサイクル

結論から言えば、Carnotは理想的な熱機関であるカルノーサイクルを発案し、更には熱機関の効率を決める本質的な要因は、高温熱源と低温熱源との温度差であることを突き止めた。これはどんな熱力学の教科書にも記されていることであり、完成された熱力学の体系の中でカルノーサイクルのアイデアを理解することは、それほど難しいことではない。しかしCarnotの時代は、今ではそれが誤りであったとして知られている熱素説の時代であった。この熱素説の時代に打ち立てられたCarnotの理論は、もちろん徹頭徹尾にわたって統合の取れたものではなかった。それにも関わらず、Carnotが総体としては正しい結論を導き出せたことは注目に値する。混迷の時代のまっただ中から普遍的な法則を射抜いたCarnotの視線を追ってみよう。

真の動力源は何処にあるか
まずはCarnotの次の言葉を引用しよう。

"蒸気機関による運動の発生には、つねにある状況が結びついており、われわれはそれに注意を向けねばならない。その状況とは、熱素の釣り合いの回復、すなわち、多かれ少なかれ高温にある物体から、他のより低温の物体へ熱素が移動することである。"

Carnotは「高所から低所へと流れる水が仕事を為す」ことからの類推によって「高温から低温への熱の移動が仕事を為す」ことを考えついたとはよく言われていることである。しかしCarnotの眼差しの鋭さは何より、蒸気機関において「蒸気は熱素を移動させる手段にすぎない」ということを見抜いた点に表れている。つまり蒸気機関の動力源となっているものは、「蒸気そのもの」ではなく、蒸気の発生に付随しておこる「熱素の移動」であることに気付いたのだ。逆に言えば「熱素の移動」が生じるのであれば、必ずしも「蒸気」は必要ではないことになる。この時点で既に、Carnotが蒸気という作業物質の特殊性には捉われない理論を構築しつつあることが伝わってくる。Carnotの視線は「蒸気」という特殊な現象から、「熱の移動」という普遍的な現象へと移っているのだ。

高温熱源、そして低温熱源
更にCarnotは、こうも述べている。

"動力を生み出すためには熱を作り出すだけでは不充分であって冷たさも供給しなければならない。冷たさなしには熱は役に立たないのである。"

動力を生み出すためには「熱の移動」が必要である。そして「熱の移動」が生じるためには、高温熱源だけではなく低温熱源も必要である。いっけん当たり前のようにも聞こえるこの事実は、しかし当時の誰もが見逃していた、Carnotならではの大発見であった。実際、現在に生きる私たちでさえも、低温熱源の重要性は見逃しがちであろう。例えば車を動かすために、高温熱源としてのガソリンが必要なことは直ぐに思いうかぶだろう。しかし、エンジンで生じた熱を吸いとる低温熱源として、この地球環境がかけがえのない役割を果していることに、私たちはなかなか気付かない。高温熱源に比べて低温熱源は確かにありふれてはいるが、そのどちらもが等しく重要なのである。ありふれたものの重要性には、それを無くしてみるまで気付かないというのは、何も熱力学に限った話ではあるまい。

私たちは「有り難きもの」だけではなく「有り易きもの」に対しても、きちんと「ありがたく」思うべきなのだ。

熱素の移動と体積変化
では「熱素の移動」が発生すれば、それは全て「仕事」として有効活用されるのであろうか。この点に関してCarnotは、「熱素の移動」によって物体の体積が変化するときのみ、そこから「仕事」が引き出されるという旨を述べている。例えば、鉄球を加熱したさいに(1)鉄球の温度上昇と(2)鉄球の膨張とが生じることは、馴染み深いであろう。「熱素の移動」は(1)温度上昇と(2)体積膨張とを引き起こしうるのだが、このうち「仕事」へと繋がるのは(2)体積膨張だけであるということだ。逆に言えば、温度を上昇させずに体積だけを膨張させることができれば、それによって「熱素の移動」から最大限の「仕事」を引き出すことができる。つまり作業物質に熱素を与えて、そこから最大限効率よく仕事を引き出すためには、作業物質の温度は変化させずに体積だけを増加させるようにすればよい。これを作業物質の等温膨張と呼ぶ。

サイクルで効率を考える
さてある作業物質、例えば蒸気を膨張させて仕事をさせた後には、一度この蒸気を圧縮させないことには、蒸気は次の仕事を為すことができない。押した手を引っ込めるないことには、その手でもう一度何かを押すことはできないのだ。

だとすれば、作業物質の膨張過程だけを見てその熱機関の効率を考えることにあまり意味はないであろう。作業物質を膨張させた後には、圧縮して元に戻してやらないといけない。この膨張から圧縮というサイクル全体を対象として熱機関の効率を考察したのも、またCarnotの卓見であった。当時、熱機関の効率を見積もったすべての人々は、膨張過程だけを見て効率を議論していた。これを聞いて当時の人々を笑うことはできない。制作における効率ばかりを考えて、それを処理するさいのコストに対して盲目なのは、現代を生きる我々とて同じであって、それが環境問題を引き起こした一因なのだから。

効率を決めるのは何か
それはさておきカルノーサイクルにおいて作業物質は、等温膨張→断熱膨張→等温圧縮→断熱圧縮という、それぞれ2種類の膨張・圧縮過程を経て元の状態へと戻る。ここで注意して欲しいのは、作業物質は高温熱源から熱素を奪いながら等温膨張し、逆に等温圧縮するさいには低温熱源へと熱素を吐き出していることだ。気体は温度が高いときほど、その圧力は高いということは日常的な感覚からも明らかであろう。つまり、気体に膨張して仕事をしてもらうときには出来るだけ高温高圧力なほうが都合が良いし、逆に気体を押して圧縮してやるときには出来るだけ低温低圧力な状態にあってほしいわけだ。これはつまり、高温熱源と低温熱源との温度差がおおきいほど、熱機関の効率が良くなることを示唆している。

しかし等温膨張と等温圧縮のときとで作業物質の温度が異なるが、この間をつなぐにはどうすればよいのだろうか。前述の議論では、「熱素の移動」を有効活用するためには、熱素の移動によって作業物質の温度が変化してはならないということであった。だとすれば逆に、作業物質の温度を高温から低温へ、あるいは低温から高温と変化させる際には、熱素の移動を禁じてやればよい。これが断熱膨張、あるいは断熱圧縮である。これはそこまで馴染み深い現象ではないが、断熱された気体が膨張するさいには、気体の温度が下がるのである。逆もまた然りである。この断熱膨張と断熱圧縮とを用いて、高温における等温膨張と低温における等温圧縮とをつないでやればよいのだ。これにてカルノーサイクルの完成である。*2

この議論において、作業物質が何であるかは問題になっていない。つまりカルノーサイクルの効率というのは、作業物質が何であるかに関わらず、高温熱源と低温熱源の温度だけで定まるのだ。熱機関に関してこれほどまでに普遍性の高い法則が得られたというのは、驚愕すべきことである。

最大効率を得るためには
カルノーサイクルとは結局、高温熱源から低温熱源へと熱素Qが移動させることで、仕事Wを生み出す装置だということができる。実を言うとこのカルノーサイクルは可逆な機関、もう少し素朴な言葉で言うと、摩擦熱を生じない機関である。つまりカルノーサイクルに仕事Wを与えてやることで、逆に低温熱源から高温熱源へと熱素Qを戻すことができるのだ。イメージとしては、エアコンが電力を使って、涼しい室内から暑い室外へと向けて、どんどん熱素を放出するようなものである。

この可逆性からカルノーサイクルの最も著しい特徴が導きだされる。即ちカルノーサイクルことが、熱の力を最も有効に活用できる熱機関であるという特徴だ。

実際、もしも可逆な熱機関よりも効率の良い熱機関が存在すれば、以下の方法によって永久機関が存在することんある。まず、その高効率の熱機関を用いて、高温熱浴から低温熱浴へと熱素を移動させることで仕事を生み出す。次に、可逆な熱機関を用いて先ほど移動した熱素を低温熱浴から高温熱浴へと戻す。このときに可逆機関へと仕事をしてやる必要があるが、始めに用いた機関の高効率性によって、全体としてはプラスの仕事が生み出される。これらの操作を繰り返すと、高温熱浴と低温熱浴の間に一定量の熱を往復させるだけでいくらでも仕事を生み出せることができることになる。これは第一種の永久機関そのものであり、私たちはそのようなものが存在しないことを経験的に知っている。したがって、可逆な機関よりも効率の良い機関は存在しないということ言えるのだ。

結局、可逆な熱機関であれば、それによって熱の力を最大限に活用できてということが分かる。この議論においても、作業物質がなんであるかや、作動方式がどうであるかは問題になっていないことに注意されたい。つまり作業物質が蒸気であれ、作動方式がピストンであれ、それが可逆な熱機関でさえあれば、熱の力を最大限に活かせるのだ。これもまた、驚くべき普遍性をもった法則である。

熱機関設計への指導原理
斯くして「作業物質や作動方式のいかんを問わず考えうるあらゆる火力機関に適用できる理論」が創り上げられたのである。これをまとめると(1)熱機関の効率は高温熱源と低温熱源の温度のみによって定まる(2)可逆な熱機関によって最大効率が達成されるということになる。Carnotは熱機関を設計する上での指導原理として、より具体的に(a)大きな温度差を得ること(b)気体の冷却は可能な限り断熱膨張によって生じるようにすることと述べている。Carnotの意識は技術的問題へと向けられており、その上で、その問題を解決するためにと普遍的な法則を追い求めたということが伺える。

熱の運動説へ

以上のようにして、Carnotは熱素説の時代にありながら、熱機関とその仕事に関する、非常に普遍的な法則を導き出した。その後Jouleが熱と仕事との等価性を見抜き、それに応じてClausiusらが熱を運動として捉える現代的な熱力学へと、Carnotの理論を焼き直していくことになる。これを通じて、技術的な問題のまっただなかに生まれた熱力学が、宇宙論的な地位を獲得するまでに成長していくのだが、これについてはまたいつか話すことにしたい。ただ熱素説から運動説への転換を経ても、Carnotが見出した熱機関の理論については、本質的な変更は生じなかったこと、その意味でCarnotはやはり本質を的確に射抜いていたのだということだけを最後に述べて、筆を置くことにしよう。


参考図書
やはり熱力学の歴史に関する書籍といえば熱学思想の史的展開であろう。全てを読みとおすには根気がいるが、例えば僕のテキストを読んで興味が湧いた箇所があれば、そこの所をこの本でより詳しく正確に学ぶなど、辞書的な使い方ができると思う。

また熱力学といえばエントロピーという概念こそが革新的なのであるが、今回の記事ではそこまでは触れられなかった。いつかエントロピーについても分かりやすく説明したいと思っているが、さしあたりこの概念の楽しさを知るためにはマックスウェルの悪魔をお勧めする。これを読んで、もう少し数学的な点からも理解したいと思えば、高校数学でわかるボルツマンの原理を開いてみるといいだろう。

熱力学を本格的に学んでみたい方には是非とも熱力学 現代的な視点からをお勧めしたい。熱力学のみならず、科学としての真摯な姿勢も身につく良書である。僕が物理学の本の中から一冊だけ誰かに進めるとしたら、この本を選ぶ。

カルノーのことが気になってたまらなくなった方にはカルノー・熱機関の研究にて原論文に当たってみて頂きたいが、この本はなかなか手に入らない。


*1 熱力学だけに"熱さ"という言葉を使ってみました。"熱い"という言葉を使っておきながら"寒い"発言だったと反省しています。

*2 ここの部分は、本当にカルノーがこのように考えていたのか、いまひとつ確証が得られません。ちなみにこの文章は、僕が感じた感動を伝えることが主目的であって、必ずしも全ての文章が正確であるわけではありません。不正確さの種類として(1)分かりやすさを優先したための不正確な記述(2)発展途上の理論について書いているので現代の知見から見れば不正確である記述(3)僕の勘違いにより不正確な記述の3種類くらいありますが、ここの部分は(3)のタイプの不正確さが含まれている可能性があります。

                

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「こころを理解するための新たなフレームワークとしてのウェブ」を聞いて

  • 2011/10/16(日) 23:21:50

2011京都大学国際フォーラム「新たな知の統合に向けて」での池上高志さんの講演「こころを理解するための新たなフレームワークとしてのウェブ」を聞いての簡単で不正確なメモ。


こころとは何か、意識とは何かという問題は、それに向かってどう始めの一歩を踏み出せばいいかも分からないような、非常にチャレンジングな問題である。

例えば脳細胞の織り成すネットワーク構造に「意識」を見出そうと、パソコン上にニューラルネットワークをシミュレートしたとて、なかなかその中に「意識」を見てとることはできない。これは意識とは何かという問題をネットワーク構造に帰着して考えることの限界を指し示しているように思える。

しかし以上の議論ではスケールの問題が見落されている点に注意しなければならない。1台のパソコンによって構成されるネットワーク構造は、脳がつくるネットワーク構造に比べて遥かに小規模なものである。このような小規模なネットワーク上に意識の萌芽を見てとれないからと言って、そこから脳のような大規模ネットワーク上の意識までもを否定することはできない。なぜならネットワークというものはスケールが変わればその定性的な性質までもが変化する可能性を秘めているからである。量的な変化が質的な変化へと転換すると言ってもよい。

実際にインターネットという名のネットワーク構造は、このような量的変化から質的変化が生じる好例である。インターネット上を流れる情報が肥大化していくにつれて、情報を蓄えるためのストレージが増加するのは言わずもがな、情報を蓄えるためのアルゴリズムや、蓄えた情報を引き出すための検索アルゴリズムまでもが変化していった。これは洋服が増えてきたときに僕らがどういう行動を取るかを考えればわかりやすい。服が増えたときに、単純にタンスを買い足して今までどおりに収納していたのでは、どこにどの服があったのか分からなくなってしまう。そこで季節の服ごとに分類して収納をしてみたり、あるいは引き出しの頭にラベルを貼って検索をしやすくする。服が増えるという量的な変化が、収納アルゴリズムや検索アルゴリズムといった質的な変化を引き起こしうるのだ。 ネットワークのスケールが変化すれば、そこに新たな構造が芽生える可能性がある。

ではこのような大規模ネットワークであるインターネット上に、意識の可能性を探ることはできるだろうか。更にはインターネットを脳のネットワーク構造のメタファーとして捉えることで、意識の問題に対する新たな展開が開かれるのではないだろうか。

例えば意識の自律性というものを考えてみよう。人の脳は環境からの刺激や入力がないときでさえ、ニューラルネットワークは活発な活動を続け、やがて来たる刺激に対してその姿勢を整えている。ではインターネットの場合はどうだろうか。もし世界中の全ての人がパタリとインターネットを使うことを止めてしまったら、インターネットはその活動を止めるであろうか。そうではない。外界からの接続が絶たれたとしても、Googleの産みだした巡回ソフトがインターネット上の情報を駆け巡り、やがて来たる情報を待ち構えている。ここにインターネット上の意識の自律性とも言えるものを見てとることができないだろうか。

こうしてみると、ヒトは自らがつくり出したインターネットのことを、もはや完全には制御することができなくなったという事実に気付く。インターネットは産み親であるヒトの手を離れ、独自のリズムでその鼓動を刻み始めたのだ。一方でインターネットはヒトが生活していく上で必要不可欠の存在となっている。ヒトがインターネットを開発し使用しているという従来の状況は一変し、今ではヒトとインターネットとが対等な関係として共生を始めたのだといっても過言ではないだろう。この制御不能であり、ヒトにとって不可欠のパートナーであるインターネットは、もしかすると人類が創りだした初めての人工生命なのかもしれない。

                

科学が解き明かさんとするものは

  • 2011/07/25(月) 02:29:03

僕は何のために科学をやっているのか。

何を知るために科学をやっているのか。

実を言うと、僕は、自分のことを知るために科学をやっている。

自分が研究したい対象というのは、始めから決まっている訳ではないし、もし研究対象を決めたとしても、そのとき思い描いたとおりに研究が進んでいく訳ではない。

科学という営みは、研究するという行為を通して初めてつかむことができる、自分だけの実感を、なんとかしてたぐり寄せていく行為である。

今、不思議に思っていることがある。そしてそれを研究する。色々と調べているうちに、新たな疑問が生じてくる。そこで研究の方向を改める。その都度、自分がそのときに不思議に思っていることを見つめ直す。そして新たな一歩を踏み出す。

そうしているうちに、紆余曲折しつつも、研究の足跡が一歩一歩と増えていく。ふとした時に後ろを振り返ってみる。すると、自分の足跡が描いた軌跡が、自分が本当に知りたいと思っていたものを指し示してくれている。そうか、俺はこんなことを知りたかったのか、と淡いため息がでる。

人は、自分が知りたいことが何か、それさえも分らないほどに、自分のことを知らない。科学を続けていると、そのときに辿った足跡が、まるで鏡のようにして、自分の知りたかったことを照らし出してくれる。こうして僕は、科学という営みを通じて、少しだけ自分のことを知ることができるんだ。

                

科学文化の舞台建設

  • 2010/11/04(木) 00:43:29

科学者は、しばしば「その研究は何の役にたつのですか」という質問を受けるが、それに対して「その研究はどう面白いのですか」という質問を受けることはほとんど無い。

一方で、芸術家は「その絵のどこが面白いの」と問われることはあっても、「その絵は何の役に立つの」と問われることは、それこそ皆無に等しいと言ってよいだろう。

つまり社会的には、科学は技術として、芸術は文化としてその地位を確立しているのだ。

その反面で、科学者の中でも少なからぬ人々は、技術的な営みではなく、文化的な営みとして、科学の道を歩んでいる(※1)。個人にとっての科学は、このように文化としての側面が大きいのだと思うけれど、社会の中では、科学は何かの役に立つべき技術として認知されている。科学はなまじ役に立つので、なかなか技術の道を抜け出せずにいるんだろう。個人にとっては科学は文化、社会にとっては科学は技術という、このねじれが解消していくことが、文化としての科学の土壌を肥やしていく第一歩なのは間違いないし、このことは更に、真に豊かな科学技術の創成へも繋がるものだとおもう。なぜなら、豊かな科学技術とは、豊かな科学文化の実りを調理することで得られることがしばしばだからだ。

桃の木は、誰かの役に立とうとしてその実をつけるのではない。だけれども、人々はその桃を食べることができ、役立てることができる。同じように、文化人としての科学者が育てた科学の実を、技術者としての科学者が調理し、役立ててくれる。桃の実でも、科学の実でも、問題は"役立つ"かどうかではなく、"役立てる"かどうかなのである。役立てるためには、先ずは兎も角、実が成らなければどうしようもない。そのためには、土壌を肥やしておく必要があるのだ。

桃の木と科学文化の人々を同列に捉えたが、ここには一つ重大な差がある。それは、桃の木は自分で土壌を肥やすことはできないが、科学文化の人々は自分たちで土壌を作っていくことができるし、そうすべきだということだ。

このことを話すのに、先に絵画の歴史というものを振り返りたい。始めに、芸術は文化として認められていると書いたが、では例えば、画家の活動が当初から文化的活動として認められていたかというとそうではないのである。
元々の画家の活動とは、技術的な活動であった。
このことは岡本太郎の今日の芸術に詳しいのでそちらを参照して頂ければと思うが、以下に簡単に記す。

意外かもしれないが、絵画が芸術になったのは、今から100年ぐらい前のことで、まだその程度から立っていないのだという。では芸術以前の絵描きは何をしていたのかというと、貴族の注文に応じて、王様の顔を端正に描きあげたりするのが仕事であった。これは言わば、綺麗なお見合い写真を撮る写真家としての仕事のようなもので、そこに求められるのは文化の精神ではなく、どれだけ綺麗に描いてくれるかという技術である。このころには、画家は貴族のお抱えとなって仕事をしていた。

ところが、フランス革命の結果、貴族階級は社会的な地位を失い、お得意様の居なくなった画家は、明日のパンの心配をしなくてはならぬ状況に追いやられることになった。そこに、資本主義の中で富を得て権力を握り始めたブルジョアジーが、画家にとっての新たなる顧客となっていった訳である。しかし、貴族相手に絵を描くのと、ブルジョアジー相手に絵を描くのとでは、絵の描きようが全くと言っていいほど異なるのである。貴族との直接の関わりの下では、その貴族にあわせて、貴族の気に入るような絵を描いていれば良かった訳だ。一方でブルジョアジーに絵を描く時には、誰か特定の個人のために絵を描くのではない。どこかで開かれた展覧会に絵を飾り、そこで不特定多数の人々に鑑賞される。どのような場所に飾られ、どのような人に見られるか分からない中で、それでも絵を描かなければいけないという状況に追いやられたのである。これで、画家はすごく苦しんだ。少し岡本太郎の文章を引用しよう。

まず、だれのため描くのか、したがって何を描いたらいいのかー、絵描きは苦しみます。描かなければならない真の絵とはなんだろう。いったい絵画とはなんぞや、という問題になった。そういうことを自分の責任において、とことんまでつっこみ、社会、人類に対して、これだという一つの答えを出さなければ絵が描けない。 -略- この苦しみ、この虚無をのりこえて、はじめて、絵画は芸術になったのです。



桃の木の話から転じて少し長くなってしまったが、つまりは、絵画というものも始めは文化としての土壌を持っておらず、ではその土壌を肥やしていったのは誰かというと、他ならぬ画家自身なのである。だとすれば、文化を志す科学者もこれを見習い、自らの手で、この社会に科学という文化を培っていかなければいけない。

文化としての科学をやりたい人々が、いつまでも「これは一応こういう風に役に立つんです」と言って、技術としての科学の土台の上で活動を続けていくことはできない。日本には、そういったねじれた科学を支えるだけの余裕というのはものないのだ。文化人としての科学者は、まずは自分たちが活動すべき舞台の建設から始めなければいけない。

科学は私的な営みであって、そのようなことは我々科学者の役目ではないと考える方もいられるかもしれない。しかしそうではないと思う。「人に見せたくなるのが芸術」と言ったのが誰かは忘れてしまったが、それに呼応して僕はこう言ってみよう、「人に教えたくなるのが科学」なのだと

芸術を「紅葉の葉っぱ、綺麗に描けたよ、見てみて」というコミュニケーションだとすると、科学も「羽根と鉄球同時に落ちるよ、すごくない?」というコミュニケーションなのだ。このコミュニケーション無くしてはなかなか科学も芸術も楽しめはしない。一歩一歩、文化としての科学を踊れる舞台を建設していかないといけない。


(※1)例えば、物理学では独楽の運動に関する研究なども成されていた。これは当然、今よりも高性能の独楽を作ろうとか独楽を回して電力発電しようとかいった技術的な志を元にした研究ではない。そうではなく、子供の頃によく遊び、慣れ親しんだ独楽だけど、こうやって斜めになっても倒れずに回り続けるのはどういうことなんだろう、そういった好奇心に突き動かされ、それが解明した時には心が踊り、そうしてその感動を誰かにも伝えようと論文に記していく、そういった文化的な営みなのだ。

                

物理における抽象と捨象

  • 2010/11/04(木) 00:42:51

りんごの外見をそのままに描写していく形式の絵画を写実画と呼ぶならば、りんごの内面から最も印象的な一面を抜き出して画面に表現していく絵画、例えばりんごの深紅に本質を見出し、画面をどこまでも紅く染めあげていくような表現のことを抽象画と呼ぶ。りんごを描くという時に、具体物そのものを描くのではなく、自分の中でりんごというものを消化して、自分にとってのりんごとは何かを抜き出し、それを描いていくのが抽象画というものである。

物理学というものを絵画に例えてみるならば、それは自然の表層をあるがままに描く写実画よりは、自然に対して切り込みを入れてその深層の一面を抜き出してくる抽象画に近い。

例えば、ガリレオ・ガリレイが「物体の落下速度は、その物体の重さよらず一定である」という事を述べるために、ピサの斜塔から重さのことなる2物体を落下させて、それが同時に地面に着くことを示したという逸話がある。しかし、空気抵抗があることを考えれば、例えば鉄球と羽は同時には落ちっこないんだから、ガリレオの言うことは事実に反している。写実画的な立場から言えば、この物体落下の理論は、あるがままの落下現象から空気抵抗という存在を捨象したため事実と反しているのだということになる。しかし、そうではない。むしろ、ここでは抽象画の立場に立つべきで、ガリレオはあるがままの落下現象の中から、地球と物体との間の引力の働きのみを抜き出してきたのである。落下現象には地球の引力、空気の抵抗はもちろん、月の引力や、あるいは地球の裏側で蝶が羽ばたいた際のそよめきなど、様々な働きが関与している。それらの中から、地球の引力以外の影響を捨象したのではなく、地球の引力の影響のみを抽象してきたのである。

捨象と抽象を単なる行為としてみるならば、それは同一なる行為の異なる2側面に過ぎない。しかしそこに宿る意思を考えたとき、捨象と抽象では随分と趣が異なる。物理とはあるがままの世界の中から主体的に美を切り出していく営みである。その切り口を如何に選ぶか、ここには捨象ではなく抽象の意思が宿る。

僕は物理学がどれだけ進歩しても、この世の中の1%も分かりやしないと考えている。これだけ豊かな自然の中から、ひとつのキャンバスに表現できることなんて、ほんの断片でしかありえない。だとしたら、この自然の潤沢な実りを1つずつ捨て、削ぎ落としていくと考えるよりは、自然の中に埋もれている、汲めども尽きぬ美の欠片を1つ1つ抽き出してくると思うほうが、余程この大自然を享受できるというものだ。


話は逸れるようだが、物理では異なるモチーフを抽象した結果、同じ絵が描かれたりするのが面白いところだ。例えば木の葉の葉脈とリアス式海岸、まるで関係ないように思える両者からは、フラクタルという同一の概念が抽象されてくる。フラクタルに関してはここでは詳しく述べないが、こうして抽き出された概念を軸にして、再び自然へと目をやると、"もの"と"もの"の間の距離感がそれまで全く違って見えてくるから面白い。木の葉と海岸線、以前であれば全く並べて考えることなどなかった2つの"もの"が、フラクタルという概念を通して観ると、まるでキャベツとレタスかのように近しい"もの"に見えてくるのだ。人はオギャーと産声をあげたときには、まだこの世の中の"もの"に触れたこともなく、当然、自分にとってそれぞれの"もの"がどういう意味を持っているのかなんて分かりはしない。そのころには、レタスとキャベツの差なんて分からない、言わばレタスとキャベツの距離は0だと思っているかもしれない。しかし、レタスやキャベツを何度か食べるうちに、レタスはシャキシャキしていてキャベツはザクザクしているから、まあレタスとキャベツの間にはちょっと距離があるかな、なんていう風に、生活を経るにつれてだんだんと自分にとっての"もの"と"もの"の間の距離が定まってくる。そうして十数年も立つと、だいたい自分の中での"もの"との距離感というのは固定され、それにつれて、その固定された世界観に退屈を覚えてくる。そこに来て、突然、木の葉とリアス式海岸なんて、今までの人生では距離が遠すぎて並べてさえ見たことがなかったものが、まるで隣どおしに居るかのような距離感で現れてくるのだ。これまでに培い、いつしか凝結しかけていた世界観が、にわかに溶きほぐされ、世界が変遷変遷しはじめる。そうなると、まるで子供の頃に戻ったかのような気持ちで、この世界に遊び、この世界に踊ることができる。

なんだか本当に話がそれてしまったので、これについてはまた別記事で書こう。

                


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